【ネタバレ注意】映画『愛がなんだ』考察&レビュー
(C)2019「愛がなんだ」製作委員会
はじめに
ダラダラとソファーで過ごしていた日曜の昼下がり、なんとなく映画でも見ようと思って、Amazonプライムを開いたら、『愛がなんだ』が目に入ったので、観てみました。
とりあえず…
メンタルやられた
人間の怖さとリアルがつまってる感じ
安易な気持ちで見るとわりと辛くなるのでご注意ください⚠️っていう感じです。
それでは、レビューしていきます🔥
目次
- はじめに
- 1. 山田テルコ(岸井ゆきの)と田中守(成田凌)
- 2. 会社を辞めるテルコと結婚する同僚
- 3. 仲原青とテルコの年越しシーン
- 4.テルコと守のベッドシーン
- 5. 仲原青の決断シーン
- 6. ラストシーン
- おわりに
1. 山田テルコ(岸井ゆきの)と田中守(成田凌)
田中守のことが大好きな山田テルコと、テルコのことを都合のいい女としてしか見ていない田中守。これって恋愛苦しんでる人からすると結構よくある構図。作中の2人の雰囲気とか会話とかがとにかくリアルなので、胸が苦しくなる…。嫌われたくないし、そばにいたいと思って尽くしすぎちゃうテルコに対して、本当に都合いいとしか思っていない守の対比された雰囲気が絶妙で、見ていて苦しかった。
田中守に呼び出されたら、帰宅してお風呂に入っていたとしても、
「まだ会社」
なんて嘘言って会いに行ってしまうあたりも、沼ってる恋愛中の女の子そのもの。あぁ、辛い、切ない…だけどその時はそれが精一杯の幸せなんだろうなっていう感じ…やっぱり切ない。
2. 会社を辞めるテルコと結婚する同僚
田中守との未来を望んで、男を理由に会社を辞めてしまう(クビになる)テルコと、来月結婚するという同僚とのシーンが、私はかなり印象に残っている。
特に、同僚のセリフ
「山田さん見てると、自分はまだ本当に好きな人に出会ってないんじゃないかと思えてくる。なんなら、世の中のほとんどの人は、そういう人に出会えてないんじゃないかって。でも、だから世の中はちゃんと回ってるのかも。」
このセリフって、かなり的を得てて、かなり辛辣…。
まさに
『愛がなんだ』
のタイトルにあるような、本当の愛ってなんだろうっていう、永遠のテーマみたいなところをついていて、そのうえで、
「だから世の中はちゃんと回ってるのかも」っていう現実をついてくる。
「好き」も「愛」も「結婚」も全部イコールの関係にはないんじゃないかっていうリアル。
そして本当は、全部イコールであってほしいっていうイメージと願望。
やりたいこととか、欲しいものがそのままの形では手に入らないっていう現実を描いた同僚と、願望そのままを手に入れたいテルコとの、すごく面白くてリアルな描写だなと思った。
3. 仲原青とテルコの年越しシーン
テルコの親友"葉子"のことが好きな仲原くんが語る、葉子のそばにいたい気持ち、葉子が寂しいときに、呼び出されるような、それくらいでいいって言う好きの形。
それに対して、テルコは、
「マモちゃん(田中守)になりたい」と言う。
「お母さんでもお姉ちゃんでもいとこでもいい」と。
この、少し歪んだような愛情に、少し怖さはあるが、全く理解できないという訳では無いのがより怖いところである。
つまりテルコは、とにかくどんな形でも良いから、マモちゃんのそばにいられればそれで良いということなのだ。
ある意味、テルコの生きている全てが、田中守にあると言っても過言ではない。
物語の中で、文字にして、客観的に見てしまえば、あまりにも究極すぎて、普通ありえないように見えるが、実際、好き真っ只中の恋愛中ってこんな感じなんじゃないかという感じがする。生きている世界がその人で染ってしまうような、そういう感覚。これが良いかと言われれば、一概に良いとも言えない。お互いがそうなら問題は無いのかもしれないが、一方だけなら、かなり辛い。一歩間違えたら勘違いのイタイやつだし、依存にも近い。だけどありえない話ではない。
そこがすごく怖いなと思った。
4.テルコと守のベッドシーン
スミレ(田中守の好きな人)に呼び出された飲み会の後、ベッドシーンで語る2人の会話の中で、守は、テルコに、
「世の中の男をカッコイイとカッコ悪いで二つに分けたらさ、俺絶対かっこ悪い方だと思う。で、そういう男にさ、なんで山田さんは親切にするわけ?」
と聞く。この時点でだいぶクズですが、
テルコは、
「それはさ、好きだからとかそういう単純な理由なんじゃないの」
と返す。
それに対して、
「ていうかさ、好きになるようなとこなんてないんじゃんって話なんですけど」
と言う守。
テルコは、
「そうだよね。私もそう思う。好きになるようなとこなんてないはずなのにね。変だよね。」
と言う。
好きに理由がないっていうことなのか、それとも、もうなんで好きかも分からないってことなのか。恐らく、テルコの心情はどっちもあるって言うのが正しい気がする。
好きの理由とか、好きじゃない理由とか、全部あげたとしても、好きなものは好きなんだからっていうテルコの叫びが聞こえてくる。そしてそのことを、自分でも変だなって思ってるんだろうなって。
本当の好きとか、愛とかって、本当は、そういうものなのかもしれないなって、テルコを見てると思わされる。理由なんて、そんな簡単にあげられないって。
5. 仲原青の決断シーン
テルコを呼び出した仲原は、葉子のことを好きでいることを辞めると宣言する。
葉子のために、仲原は好きでいることをやめると言うが、それに対してテルコは、
「なにが愛だよ。愛がなんだってんだよ。それってさ、自分がどこまでも葉子を受けいれちゃうんじゃないかって自分で自分が怖くなったってことでしょ。」と。
そして、
「手に入りそうもないから諦めたって。正直にそう言えばいいじゃんか。」と。
仲原は、
「そうっすね。俺じゃなくてもいい。誰でもいいっていうのが、正直もう辛いんすよね。」という。
「諦めることくらい自分で決めさせてくださいよ。」と。
それに対してテルコが
「バカだよ。」と言い放つ。
仲原君に対して言っているようで、テルコが自分自身にも言っているような印象的なシーンだった。
仲原くんの、好きでいることに辛くなった自分を、葉子のためにと理由をつけて好きでいることを辞めるという決断。
それに対して、その決断のことを、馬鹿だと言うテルコ。
好きでいることをやめるなんて、好きなんだから出来るわけないじゃん…と、テルコが心の中で言っているような気がした。
6. ラストシーン
本編の中で、最もゾッとしたシーンが、象の飼育員になっているテルコが映されるシーン。
実際この前のシーンで、テルコが幼いテルコと会話するシーンがあるが、
幼いテルコが、
「本当にいいの?そこまでしてマモちゃんにくっついてたいの?」と聞かれ、
「そうだよ。」と答える。
そして、
「それってなんなの?好きってことなの?」と聞かれ、テルコは、
「好き?なにそれ。」と答える。
そのあと、
「私が抱えているマモちゃんへの執着の正体とは、一体何なのだろう?これは、もはや、恋ではない。きっと愛でもない。けれど、そんなことはもう、とっくにどうでもよくなっている。」
というテルコの心の声が入る。
そして、
「どうしてだろう?私は未だに田中守ではない。」
とくるのだが、(ここで少しゾワッとする)
このあと、
象の飼育員になったテルコが映される。
一見、おもしろ要素のようなコミカルな展開にも見えるが、実際のところは、すごく怖いシーンだと思う。
テルコにとっての全てが、田中守で、田中守になることが、テルコの生きる意味のように感じられるシーンである。そしてこの象の飼育員になっているというのは、田中守が、前半で、
「33歳になったら、象の飼育員になる」
という現実味のないことを言うが、
この伏線を回収しているということである。
もはや、テルコは、マモちゃんになるためなら、なんにでもなれるのだ。どんな形だとしても、マモちゃんの傍にいられればそれでいいということだ。
ここでいきてくるのが、会社を辞めた時の同僚とのシーンである。
会話の中で、テルコは、
「好きとどうでもいいかのどっちかになる」と話していて、それに対して、同僚が、
「自分も?」というのだ。
テルコは、マモちゃん以外が
「どうでもいい」になったのだ。
それは、自分も含めて。
マモちゃんがいる世界以外が、どうでもよくなったのだ。
もし、何らかのことがあって、マモちゃんが世界から消えたとしたら、テルコは一体どうなってしまうんだろう…という疑問が湧いたが、考えるとゾッとしたので、考えるのをやめた。
自分のことがどうでもよくなったテルコなら、マモちゃんのこととなれば、なんでもやってしまうのではないかと思う。だけどそういうのが本当に愛なのだとしたら、人間ってすごく怖い。きっとこれを想像できてしまうということは、実行もできてしまうのだ。そして人は、わりと、そういう本当の愛を求めている生物だと思うから。
おわりに
『愛がなんだ』を見終わった感想を私なりに書いてみましたが、いかがでしたか?最後ゾクッとするのですが、エンドロールの明るさでそんなに暗く終わらないようにしてあります。作中の曲も、あまり暗くしていないので、そんなに沈まずに見れてしまうのですが、逆にこの明るさが怖さを助長しているような気もします。
共感してもらえる所も、出来ないところもあると思いますが、少しでも楽しく読んでいただけていれば幸いです♪感想などもぜひお待ちしてます!!!